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・コーチング |
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●行動をおこす● 2005/03/17 今年の年初、息子が水疱瘡になったときのことです。 当然保育園への登園も外出も禁止なので、私が一週間近く息子の世話をして家で過ごすことになりました。 暴れん坊の元気な病人と家で軟禁状態です。 自分のやるべきことなど殆どできるような状態ではありませんから、結局全てを翌週に持ち越すことになりました。 そして翌週。 やらないといけないことがそのまま山積み.... 周囲の人からも「あれ、どうなってる?」「早く作業して」と追い立てられた私はパニック状態になり、心も身体も疲れきってしまいました。 「心にゆとりがない」 そんな私は周囲の人や家族に対しても優しさが足りなかったのでしょう。 頼みごとをすると嫌な顔をされたり、抵抗されたりしたのです。 何か一つするだけでも、その抵抗に真っ向から向かっていく分だけ、より一層疲れが増しました。 そんな時、自分の心のゆとりを取り戻すために、ある行動をとることを決心しました。 「丸一日、やるべきことを考えない。パソコンも開かないで、映画館で一人のんびり映画に浸る!」 たかが映画ぐらいで何を大袈裟な・・・・と笑われそうですが、やるべきことを放ったらかして、一日蒸発するという行為は、私にとっては大変なチャレンジだったのです。 この時観た映画が、私にとっての座右の名画となった『いま、会いにゆきます』 これが、ちょうどその時の私の心に響く内容だったので、映画館で人目も憚らずにボロボロ泣きました。 まるで涙を流すことで心が浄化され、心のフィルターに溜まっていたゴミを洗い流すかのように。 そして、この映画を観たことで私が得たものは何だったか。 そもそもの目的は、心のゆとりを得るためでした。 ところが実際に得たものは、もっと根源的なもの。「心の底から湧き出るような家族への愛情」だったのです。 どうもその時から、家族や周囲の人々に対して優しくなれる新しい自分が生まれたようです。 すると、どうしたことか! 今まで、非協力的だと思っていた家族がサポーティブになったり、問題行動ばかりおこしていた息子の不適切な行動が減り、いつも叱ってばかりいた私が子供を叱ることが殆ど無くなったのです。 周囲からもサポートがもらえるようになったので、ふと気がつくと、以前はあれだけエネルギーを使ってやっていたことが、簡単にすんなりとできるようになり、本当の「心のゆとり」ができていたのです。 「一日、蒸発して好きなことをやる」 たったこれだけの行動がもたらしたものは、私の人生観を変えるようなことだったのです。 ●自分の価値観って何だろう● 2004/08/27 長年勤めていた会社を夫婦揃ってほぼ同時期に辞めて、新しい世界で生きていこうと決めてから今に至るまでに、周囲の人々から実に様々な反応がありました。 最近では、「ビジネスの方はどう?順調にいってる?」と聞かれて、ちょっと答えに窮したことがあります。 まず「ビジネス」という言葉に違和感を覚えました。 自分が目指す方向の先にあるものは、自分の利益だけを追求しようというものではないのですが、「ビジネス」という言葉を聞くとどうも営利目的の匂いがプンプンしてくる感じがするのです。 そして「順調にいっている」かどうかというのも、捉え方が難しい表現だなぁと感じてしまいました。 「順調にいく」ということが「それなりの実入りがあること」と捉えると、今の時点ではそれは無いので順調にいっていないことになるのですが、それはそもそも自分で立てた計画どおりのことであり、「順調にいっていない」というのは真実を表現した言葉ではないからです。 むしろ、無料とはいえ続々と仕事の依頼をいただいている現状は、当初の予想以上に「順調にいっている」と言ってもいいかもしれません。 ここで感じたのが、人それぞれの価値観の違いということです。 別にどの価値観が正しいとか間違っているというのはないのですが、置かれた環境によって自分の価値観が変わることもあるし、広がることもあれば狭まることもあるのだと思います。 例えば自分のOL時代のことを思い出してみると、お金というものは無くてはならない存在だと感じていたように思います。 休みを取って海外旅行に行くのは当たり前、自分の着飾ったりブランド物を買うために大枚をはたいたことだって一度や二度ではありません。 お金を使うことによって充足感が得られるような気になっていたわけですが、実際には海外旅行に行っても「○○を見た」「○○を体験した」という事実が残っただけだったり、ブランド物を買うというその行為自体の非日常性にワクワクしただけだったり、充足感を得たような錯覚に陥っていたのかもしれません。 いや、中には海外旅行でも本当に充足感を得たという時間はあり、今でもその時のことを鮮明に思い出すのも事実です。 でも、その気持ちはそう長続きはしないもので、日常の生活に戻ってくると眩しい記憶の一片として残っているに過ぎず、いつしかそれも色褪せた写真のように遠い記憶になっていくように思えます。 さて、お金を十分に持ち、それを使うことに価値を置いていたそんな時代から時を経た今、自分の中には明らかに変化が起きているように感じています。 それはお金や物質的な豊かさに対する興味が薄れてきていて、その代わりに常に心が豊かであることを追求しながらのんびり生きていこうという価値観に変わってきているということです。 2〜3年後、もしかしたら今の生活レベルをグッと落として暮らしているかもしれませんが、この先どうなるかなんて今の時点では分からないわけですから、そんな先のことなどを心配しても仕方が無いと思えます。 今住んでいる家や車を売って、家族3人トイレ・フロなし四畳半一間のアパートに身を寄せることになったとしても(←今の状況から生活レベルを落とすことを表現したまでですが、お気を悪くされた方がいらっしゃったらごめんなさい.......)、そのこと自身はちっとも怖いことでも何でもないと思っています。 将来を案じて窮屈に暮らすよりも、私にとっては今この瞬間が満ち足りていることの方が大切なのです。 さて、あなたにとって最も大切にしていること、あなたの価値観って何でしょう? それを知り、それに沿った生き方をすることは、心の深いところから充足感を得ること、毎日を活き活きと豊かに生きるということにつながるのではないでしょうか。 もし、自分の価値観を探ってみたいと感じているのであれば、ほんの少しの勇気を持って一歩を踏み出してみることから始めてみてはいかがでしょう。 私でお手伝いできることがあれば、最大限のご支援をさせていただきたいと思います。 あなたの本当の気持ち、それは心の深いところに眠っていてあなた自身も気づいていないのかもしれません。 もし、あなたがあなたの心の声を聞き、あなたの未来への一歩を切り開きたいと思っているのであれば、どうぞこちらの扉を開けてみてください。 ●親子連鎖を断ち切ろう● 2004/06/28 私が小学生ぐらいのころ、母親は自分にとって「絶対」の存在だったように思います。 母親が言うことは何でも従わなければならない、だから言われるがままに週3日もお稽古ごとに通っていたし、友達よりも早い門限も守らなければならなかったし、見たいテレビや漫画も見せてもらえなくても我慢して友達と話を合わせなければならなかった、そんな子供時代でした。 でも、それが中学生ぐらいになると当然のことながら反抗心が出てきて、親の目が届かないところでささやかなワルさを始めるようになりました。 学校の授業中に先生の話を聞かないでしゃべっていたり、修学旅行の時に派手な服を買って持っていったり.... 当然のことながら、先生にも目をつけられ成績もガタ落ちです。 でも、その時の自分の感情がどうだったかというと、「成績が落ちてショック」ではないんですね。 むしろ、毎日説教ばかりの母親に対する反発から「こんなひどい成績でお母さんはショックだろうな。でも私に文句ばかり言ってるから当然の報いだ!」と思っていたのです。 「自分なんてどうでもいい」「親にショックを与えたい」というのは、自虐的な気持ちであったり、復讐心であったりするわけですから、程度の差こそあれ、昨今問題になっている青少年の自虐行為や凄惨な事件につながるような気持ちだったとも言えます。 「親は子供の気持ちなんか分かってくれない」、これが私が子供時代にずっと心の奥で思い続けてきたことでした。 さて、親になった今、私は子供の気持ちが分かる親になっているでしょうか。 「まだ、遊びたいのー!」という子供を半ば無理やり連れて帰ったり、「お母さんも一緒に遊んでよ!」と言う子供に「今、忙しいからダメよ。」と言ってしまったり..... これってもしかして私が子供時代に母親に対して感じた「自分を自由にさせてくれない」という気持ちを与えるような行為なのでは!? どうやら子育てのやり方は、長い間に自分の親から受け継いだクセが連鎖してしまうようです。 頭では「子供の良き理解者」でありたいと思っていても、いつの間にか先回りして口うるさくあれこれ言ってしまう自分がいるのです。 私を含めた親たちは、自分が子供の時に感じてきた子供の立場と気持ちを意外と簡単に忘れてしまうのですね。 最近、何か子供に関わる事件が起こると「今、子供たちに何が起きているのか?」と言って「今」という時代に焦点があたることが多いように感じます。 確かに「今」の時代の子供が受けるストレスが昔と異質なものになっていたり、子供がストレスに対して弱くなっている原因は他にあるのは事実ですが(それについてはまた別の機会に話したいと思います。)、事の発端にある子供の「気持ち」を理解することの方が実はもっと大事なんですよね。 心理学を学ぶ者として、誤った子育ての親子連鎖を断ち切ることを意識してやっていかないといけないなぁと感じるこの頃です。 ●子供にいい事よりも自分がやりたい事を一緒にやろう● 2004/05 「子供のために」と思うと、何でも経験させた方がいいんじゃないかしらとか、早いうちから幼児教室や教材で楽しみながら学ばせた方がいいんじゃないかしらとか、いろんな思いがよぎることがあります。 特に日々の生活が何となくマンネリになってしまったり、子育てに不安を感じるような時は、世間で注目を集めている早期能力開発や英会話などの教室、ビデオや玩具が付いた幼児教材などに目が行ってしまい、これらが子供にとってとても良いもののように見えてきたりして、ついつい飛びつきたくなってしまうんですね。 でも、いざ幼児教室に通ったり教材を取ったりすると気がつくのは、子供の送迎や教材を使って一緒に遊ぶ時間に意外と時間をとられてしまうということです。 お母さんも子供と一緒になって楽しめればいいのですが、「子供のためにやっている」という意識でやっていたり、「高い料金を払っているんだからしっかりやらないと」という意識まで働いてしまって逆にそれがストレスになったりしては本末転倒かな?と思います。 我が家は家計的な理由もあり、教室や教材を試したことはないのですが、教室や教材に頼らなくても、大人が子供と一緒になって楽しみながら教えられることは、まだまだたくさんあるような気がします。 例えば、音楽。 童謡ばかりでなく、たまには自分が好きな曲や歌をかけて、子供と一緒に歌ったり踊ったりしてみます。 我が家の息子は子供向けに収録された子供達が歌うビートルズの歌というのが気に入っているので、もちろん英語で何を言っているのかさっぱり分かっていないながらも、家族みんなで声をあげて歌っています。 楽器を弾く方は、子供を教室に連れていかなくても、まずは自分が弾いて楽しむところから始められそうですね。 そして映画。 特に子供向けで作られているものでなくても、子供と一緒に楽しめる作品があると思います。 「となりのトトロ」やディズニーの各種アニメは大人だって楽しいですよね。 また、実写版では「サウンドオブミュージック」や「メリーポピンズ」なども充分楽しめます。 また、子供と一緒に楽しむという趣旨とは違いますが、最近では曜日と時間を限定して、小さい子供連れでも入場できるという映画館もあり、普段はなかなか行くことのできない映画館で最新の映画を楽しむこともできます。 休日には動物園や水族館に行ってみるというのも楽しいですね。 単純に子供は生き物を見るのが大好きなものですし、意外にも大人だって楽しいのです。 様々な動物や魚などの説明書を文字の読めない子供に読んでやるのは、実は自分の知識になったりして、それも楽しいものです。 また美術館や博物館というのも、親子で楽しめる空間ですし、もちろん大人も楽しいディズニーランドなどは、混んでいる日さえ避ければいつ行っても楽しいですよね。 子育て中は何かと我慢、我慢の連続だったりします。 そして、子供のために自分が我慢をするのが良いお母さんであり、美徳だとさえ思われているようなフシもありますよね。 でも、どうでしょう。 親が子供に合わせて過ごすよりも、自分が楽しめることを子供と一緒に楽しむ方が、精神衛生上もいいし、子育てが楽になるような気がしませんか。 子供にとっても、自分が一番心地よいことをして楽しんでいるお母さんの方が、我慢して難しい顔をしているお母さんより、魅力的なお母さんに映っているのではないかなと思ったりします。 |